2010年4月2日金曜日

失敗事例の研究の目的

自分の先を歩んで、そこで失敗してきた人と同じ蹉跌を踏まないように。

人生の航路で同じ轍を踏まないように。


個としての強化
・精神的強化
・身体的強化
 端的には、精神的・身体的な病にかからないこと。かかりそうになっても軽い症状で済む体質を作り上げることにかかってくる。


周囲で失敗している人たちは、何も失敗を他人に見せびらかそうとして、ましては他人のために失敗の先例を見せようとしてやっているわけではない(意図的に失敗を見せる知恵者・歌舞伎者は別)。
しかし、客観的にみれば、失敗者以外の他者はそこに失敗の事例を観察し、原因・結果等の分析を行い、そこから所産を得て知恵として生かすことができる。そうした思考回路を持つことは、人生の処世術として一般的に求められ、その価値を認めてもよい。人類の発展のため、経済的観点からみても有意義。


失敗事例からの学習→「失敗学」のように外部から客観的に観察できるモニュメントとしてではなく、各自が自己の内部に構築すべきコアな生体反応のひとつと位置づけよう。

惰性的な軌道修正ではない、自分と人間たちを生かすための意識的で鋭敏な修正である。

0 件のコメント:

コメントを投稿