2009年10月9日金曜日

上長と部下の責務

組織の効率性を向上させる理念

・部下はとことん上司の指示に従い、上司は部下をとことん教育する。互いの責務を果たすことで信頼関係が生まれる。信頼関係の構築は、個人プレイヤーとしてではなく、チームプレイヤーとして仕事をする=組織人として仕事をする上で大前提。

・組織仕事上、厄介なのが、責務を自覚しないで惰性で組織を運営すること。中途半端な信頼、部下が中途半端に上司に従うこと、上司が中途半端な指示・教育を行うこと。つまり、各人が中途半端を志向すること(中庸、惰性でこれに向かう)。中途半端な信頼は、組織の意思決定・意思伝達の上で効率性を低下(伝導効率の低下)させ、中途半端に指示に従うことは、中途半端な仕事の成果しか出さず、中途半端に指示・教育を行えば、中途半端にしか部下は仕事を遂行せず、組織仕事に求められている必要な能力を育てず、組織の質の向上に管理職が努力していないことになる。

・信頼関係も不要、上長の指示に従う必要もない、部下に指示・教育を行う必要もないという立場。これは「組織全体」としての質の向上という意識を最初から放棄しているので、問題外。徹底的に行って組織能力の向上を目指す立場と逆の立場。1人プレイヤー、1人職人の仕事で満足している場合は、組織全体のことを考える人間としては不適格。

【結論】「勝手にやっていい」というのは、積極的責務の放棄


・上長と部下の一方が徹底性を志向し、他方が中途半端な場合。つまり本来同じ方向に進むべき車の両輪の勢いが違う場合、危険な運転となり、空中分解の可能性髙し。例えば部下がとことん指示に従いたいと思っても、上司が徹底的に指示・教育を行わない場合、つまり、その会社として進むべき道を示さない場合、部下はそうした道がないとあきらめ、自己自身で道を見つけ出す、つまり、「自己の道」を歩みだす。これで独自に頑張るというのなら、その組織に貢献するかどうかはともかく、「人類全体の生産力の向上」という観点からは歓迎すべきといえるかもしれない。が、まずいのは、そうした進むべき道が示されないことを部下が「道は会社から求められていない」ということを正解として受け止め(誤解をもって受け止め)た場合である。この場合、引き続き上司の指示・教育には従うが、自分なりに正解を得てしまったことで組織能力について抱く疑問を捨て、批判精神を放棄してしまう(盲目的従順)。そこで組織効率向上の意識は社員から失われる。部下1人でそうした誤った考えを持つならば、矯正でいいが、そうした誤った道を上司が示すとしたら、それは管理職として問題。

前者(1人の道を歩みだす)の場合、現在所属する組織を変えるか、別の組織に移るかは本人の意識次第。会社に恩義を感じることはなく、帰属意識にはつながらない。


【論点】「私はどこでも1人プレーヤーとしてやっていける」は単なる1人芸。単に自己能力を誇るだけ。「私はどこでもチームプレーヤーとしてやっていける」ことこそ、組織が求める人材ではないか。

つまり、チームプレイヤー能力とは何かということが求められる。まず、この能力は、当たり前のことだが、部下のみならず、上司にも等しく求められる能力ということ。

具体的なものを述べれば、

部下:忠実職務遂行(全員)

上司:適切な指示と教育、カリスマなど(一部)

【注意】忠実職務遂行にあたっては部下の裁量問題が絡む。また、別次元の問題として創造力が絡む。

これらについても上司の指揮監督権の適切な行使で「管理」すること(積極的管理にしても消極的管理にしても)が求められる。


【例】長い間時間をかけていって自分で学んでほしい(そして積極的指示・教育を放棄した場合)

→その組織が現在持っている現状惰性(指示・教育力)を肯定。確立した指示・教育体制があれば、部下は指示に従い、教育で育つ機会は与えられる。なければ、組織の望む形として指示が効率的には働かず、部下も成長しない。

いずれにせよ、部下・上司がそのつとめを放棄した場合、会社として業務効率向上(指示出しと教育)を放棄したことになり、組織全体の能力向上を志向する力は失われる。


議論の前提

・部下が上司に(これだと曖昧、より適切にいえば、上司の示す指導と教育)に全幅の信頼を置くこと。上司は、部下の資質を懐疑的に、かつ、長期的戦略の視野を持って眺めればいい。

・部下から管理職に要求するのはただ一点。上司の適切な指導と教育。自由を拘束するというならば、その管理の適切性を求め、自由を与えられた場合には、そのリスクを引き受ければいい。自由が一番裁量があり、怖い。リスクが高い。自由を求めるということはリスクをそれだけ引き受けるということ。


「勝手にやれと」いうことは「自由にやれということ」という裁量を与えること。受け取る側には、その自由を引き受けるリスクを覚悟を自覚して、諾否を決定する。


・判断の第三者評価

ちなみに、こうした部下・上司の判断の適切性を判断するため(各々の専断に陥らないよう)、現場からみれば第三者の「人事」が第三者機関として意見を求め、それを部下、上司は提出することになっている。

もっといえば、「人事」も社内的にみれば内部組織。よって判断が適切かどうかを担保するために、外部組織の視点を入手している。こうした外部から見た(俯瞰的な視点から見た)自らの判断の相対的位置をいうものを常に意識しながら物事を進めることが、冷静な判断として部下、上司に求められていると思う。




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